ドライブをかねて
正月明けの週末は
家族で敦賀の金崎宮に
お参りに行きます。
今年もお礼感謝を込めて
本日行ってきました。
ここは織田信長が朝倉氏を討つために
豊臣秀吉、徳川家康、明智光秀
前田利家、柴田勝家その他戦国武将の
スター軍団を引き連れて来た所です。
ここ金ヶ崎まで到着したときに
浅井氏が裏切って後ろ(滋賀)から
織田軍を挟み撃ちにしました。
劣勢となり、九死に一生を得て
逃げ帰ったということにより
難関突破(受験、試験、資格)
の由緒となっています。
このときに殿(しんがり)を
努めたのが木下藤吉郎(後の秀吉)
でした。
また浅井家に嫁いでいたお市(信長の妹)が
小豆袋の両端を結んで(袋のねずみ)
兄(信長)に危険を
知らせたというエピソードが残されています。
よって開運招福のお守りは
小豆袋の形をしています。
この後、出世した木下藤吉郎は
豊臣秀吉と名を改め、
ついには天下統一を果したことから
立身出世(出世、金運)
のご利益もあると言われています。
あっ それから さくらが咲く頃には
花換祭りも行われることから
4月からは恋の宮(縁結び)
にもなるそうです。
オールマイティな宮です。
偶然「なら燈花会」が開催されていることを知り
引越し作業で体が
ぼろぼろでしたが
むちを打って見てきました。
なかなか
幻想的でした。
なら 燈花会とは HPから
1300年前に都として栄えた奈良。
広大な自然の中に古代日本のおもかげが今も残る。
そんな奈良にふさわしい、どこか懐かしさを感じ、
心を癒してくれるろうそくのやさしい灯り。
『なら燈花会』はゆったりと時の流れる世界遺産の地、
奈良に集う人々の祈りをろうそくの灯りで照らし出します。
1999年に誕生した『なら燈花会』。
古都奈良にろうそくの灯りがとけ込み、
人々の心にさまざまな感動を与えてきました。
夏のたった10日間だけ、
広大な奈良の緑と歴史の中に
ろうそくの花が咲きます。
『燈花』とは、
灯心の先にできる花の形のかたまり。
これができると縁起が良いと言われています。
『なら燈花会』を訪れた人々が幸せになりますように。
そんな願いを込めてろうそく一つ一つに灯りをともします。
息子の大学の総会があり参加してきました。総会後に地理学科の準教授によるガイド付きでの”山の辺の道と柳本古墳群&黒塚古墳の見学”がありました。
黒塚古墳は、奈良県天理市にある前期(3世紀末頃)前方後円墳で33面の三角縁神獣鏡が出土したことで有名です。黒塚古墳資料館には出土した鏡群や石室内の実物復元模型が展示されています。鏡の製作は鋳型を作りCuを流し込み空気を逃がすために炭素を入れているとのことで高度なテクニックに感心しました。
これまでは古墳の形に沿って(後円墳に向かって頭の位置を決めている)遺体が収納されている石室の位置を決めていると思っていましたが、そうではなく、どの古墳でも石室は頭を北に向けて古墳内部に設置されているとのことです。
又、山の辺の道を歩きましたが、関係者以外はほんの数人しかいませんでした。今奈良は遷都1300年祭で多くの人が訪れています。平城宮跡はもちろんのこと、東大寺、唐招提寺、興福寺・・・の世界遺産は人だらけと聞いています。今回の古墳群にはほとんど人がいませんが、準教授からの説明を聞きながらであれば、メジャーな所ではないのかも知れませんが、世界遺産群に匹敵するように思えました。
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